見えないところで善いことをする

見えないところで善いことをする

 

 

皆さんは、「陰徳を積む」という言葉をご存知でしょうか。

 

人知れず良い行いをしていれば、必ず良い報いがある。(中国の前漢時代の言葉です)

もう少し、簡単な言葉で説明すると、次の様になります。

 

普通、人が見ているところでゴミをポイ捨てしたりする人はいませんが、誰も見ていないときにはポイ捨てしてしまう人がいます。

人が見ているから良いことをするのではなく、誰も見ていなくとも善いおこないをするというのが「陰徳を積む」ということなのです。

 

 

では、「陰徳を積む」と運が良くなるのはなぜでしょう。

 

それには、以下の理由が考えられます。

 

①陰徳と陽得

■「はぁ~。最悪だ。私は運が悪いのか?」

自分の辛い人生や不運を嘆きながら・・人前では良い人を演じながらも「誰も見ていないから」と平気でゴミを捨て、「別に、直接暴言を吐いているわけではないし・・」と、ストレスが溜まりイライラしている心境を、(自分とは直接繋がりがないから)と、店の店員などに「イライラ顔や悪い態度」をぶつけ、前をノロノロと走る遅い車を運転している年配者を睨みつけながら追い越し、嫌いな人に対しては心の中で、「この人に、不幸なことがあれば良いのに!!」と思い、嫌いな人に悪いことが起きれば、心の中で、「ざまあみろ!天誅だ。」なんて思ったりしていました。

 

コンビニで買い物した際、50円のお釣りをレジ店員が間違え、100円差し出してきたときには、「店員のお陰で得した。ラッキー!」と思い、お釣りの間違いに気がついていたのに100円を受け取り、急いでコンビニを後にしていました。

 

しかし、どれも直接的ではないし、多くは「誰も見ていない・誰も知らない」ことであるし、少なくとも、私と直接関わり/繋がりある職場の同僚や友人達は「誰も見ていない・誰も知らない」ことであったため、上記のような一般的に(悪い行い)をしてはいましたが、そのことを「悪い」とも思っていませんでした。

心底、悪いのは「世の中」であり、私は自分のことを「被害者」だと思っていました。

 

 

②目には見えない法則 ~陰徳を積む人の運命~

■つい最近、本屋で本を買いました。

レジは混雑しており、店員さんは慌てていたのか・・前の客が出していた500円玉をレジにしまうのを忘れ、そのまま(お金を置く器、お皿)のところに、500円玉が置かれたままになっていました。

 

このまま、私が(お金を置く器、お皿)のところに1000円札を置けば、1500円の本を買えそうでした。

「この500円玉は、今、私が出しましたよ?」と主張すれば良いのですから。

 

(お金を置く器、お皿)のところに、前の客が支払った500円玉が置かれたままになっていたことは、「誰も見ていない/誰も知らない」ことですし・・その500円玉を私が利用することは、「誰も見ていない・誰も知らない」ことですし・・

「誰も見ていない・誰も知らない」ことを良いことに、前の客が支払った500円玉を利用していたことでしょう。

 

しかし、店員さんに言いました。

私→「あの、この500円玉・・・」

店員→「あっ!これ・・ありがとうございます!!」

 

店員さんは、あっ!という表情の後、自分のミスを恥じる気持ちからか?少し照れも混じった嬉しそうな笑顔を見せていました。

 

 

 

~なぜ、「誰も見ていない・誰も知らない」ところで善行を積むのか?~

 

→【陰徳(いんとく)】という言葉があります。

陰徳とは、人に知られないよう、ひそかに行う善行のことであり、隠れた、良い行いのことです。「陰徳を積む」などの使われ方をします。

 

仙人・仙女修行の中には、「陰徳を積む修行」も存在するようです。

しかし、「陰徳を積む修行」のために、私は店員さんに500円玉のことを言ったのではないのでした。

 

{陰徳を積む修行}というのは、‘心のあり方’次第では、

「陰徳を積むことで、自分にメリットがあるからな!ふふふ・・」

「陰徳を積み、自分が幸せになりたいから・・」

「陰徳を積むことによって、自分が・・」

 

と自分は自分は自分は自分はと、自分のためだけに、自分だけのメリットを考えて行う色合いの強い修行ともなりかねず、あまり興味のない修行でもあります。

 

及び、(陰徳を積む修行)というのは、陰徳を積むことによって見返りを求める気持ち・・「陰徳を積めば、その分、良い事がある!」という気持ちが、潜んでしまう場合もありそうです。

それは見返りを諦めなさいの教えに反します。

 

たとえ陰徳を積もうが、見返りを求める心境から陰徳を積むならば、「私は陰徳を積んでいるのに、その割りには見返りが少ない!!」と不満や愚痴を言うことになるかもしれません。

行為を行うことも大切ですが、「その行為を行う動機は?」という、動機の部分も、大切なようです。

 

己の自己メリットのためだけに、見返りを求める心境から行う陰徳と・・(自分良し!他人良し!社会良し!)と、周りのことも含め考え、そして見返りを諦め、与えっぱなしで行う愛や善行とでは・・両者とも同じ善行ではあるのですが、経験上、どうも結果、、、行為に付随して感じることになる「感情」が、異なるようにも思うのです。

 

因果応報の法則など目には見えない法則は、行為者の、行為を行うその時の‘心のあり方’にも影響するのでしょうか。

それともカルマの法則/意味のとおり、‘我意識’とも、関係があるのかもしれません。

 

 

さて、ではどうして、陰徳を積むと運や運勢が良くなるのでしょうか?

それは、与えの意味・愛の法則や因果応報の法則など目には見えない法則は、誰が見ていようが見ていまいが、誰が知っていようが、知っていまいが、ただただ純粋に、行われた行為の真実に対して作用するからでしょう。

 

端的に言えば、事実ではなく、真実に対して、与えの意味・愛の法則や因果応報の法則など目には見えない法則は働くようなのです。

 

4次元世界の現実にあるとおり、事実と真実は異なるようです。

 

目に見えることだけ・・物理的に理解可能なことだけを考慮して生きていたため、「誰も見ていないし、ポイ捨てすればいいよ。関係ないよ。」「誰も知らないところで善行を積んでも、メリットがないじゃないか。」と、「誰も見ていない・誰も知らない」ならば平気で悪い行いをし、誰かが見ている前では、偉そうに良い人を演じ、善行を積んでいました。

そんな運や運勢は、良くありません。

 

一方・・

仙人・仙女修行以降、誰が見ていようが見ていまいが、誰が知っていようが、知っていまいが、己の信念に基づき、「良かれ!」と思う行いを、以前よりは・・ですが、するようになっていきました。

 

そのことで、逆に批判されることもありました。

世の中は、何をしても、何もしていなくても、誰かから、何かしらの批判を受けるようです。※その理由→わがまま自分勝手

 

 

 

引き寄せの法則をいろいろ試した、やるだけやった。信じられないくらい努力した。しかし何故か人生がうまくいかない人いませんか?

「なぜこんなに頑張っているのにうまくいかないんだ!」「なぜ私ばかりこんな不運なんだ!」っていう人。

もしかしたら、引き寄せの法則の前にこれを試されたほうがいいかもしれません。

 

世の中には宇宙銀行という不思議な銀行が存在しています。なんだよそれって言われそうですが、人の幸運を貯金する銀行です。この幸運を”徳”といいます。ここの貯金が多くある人は物事が非常にうまくいき、貯蓄がない人はなかなか物事がうまく行きません。さらには、徳に借金がある人、マイナスの人は不運に見舞われてしまいます。

 

 

カルマの法則とは

 

この世の中には因果応報(カルマ)の法則が存在しています。もしあなたが、何かに困っているとしましょう。それ実は、あなたが他人を困らせたことが、同じようにおこってしまっているんです。今生とは限りません。なぜかわからないけど経済援助してくれる人、それはもしかしたら前世であなたが困った人を助けた見返りかもしれません。なぜかわからないけどお金に困ってしまう人、前世であなたが他人をお金で苦しめたのかもしれません。それが宇宙銀行に負債としてたまっているんです。カルマとは無意識にあるこういったエネルギーの記憶です。

 

 

負債をなくして貯金を増やせば…

 

もしあなたが、負債をなくして徳という貯金がプラスになってきたとします。そうなるとどうなるのでしょうか。余った徳があなたの人生にプラスの出来事として現れてくるようになります。宝くじがあたったり、理想の恋人を発見したり、事業に成功したり、ラッキーな事が起こり始め、人生が急激に上向き始めます。

成功者が収入の10%を寄付しなさいというのは、これが理由なんです。寄付をしてお金を出すと、宇宙銀行に徳が貯まります。そうすると寄付した以上の金額のお金を手に入れるようになります。(負債がなければですが)

 

 

一番の徳の積み方

 

どうやれば徳を積めるんでしょうか? それが陰徳という方法です。徳には2種類あるんです。

 

陽徳…人に感謝される善行。

陰徳…人に知られない、人に感謝されない善行。

この中で一番貯金ができるのが、陰徳の方です。なぜなのでしょうか? 陽徳は例えば、どうぞと言って電車で席を譲ってあげたり、財布が落ちたら落ちましたよって教えてあげたり、人にありがとうと言われる行為です。

これは少しだけ貯まります。なぜか。ありがとうと言われることによって、相手からエネルギーが返ってくるんです。それで徳(エネルギー)を使っちゃうんです。それでも貯まりますよ。陰徳は、誰にも知られず、ほめられずにする善行です。例えば、席を譲るにしても、黙って相手の負担がなく席を立ったり、ゴミが落ちていたら誰も見ていなくても拾ったり、入ったトイレが汚れていたら綺麗にしたり。感謝されたりほめられたりしない分、エネルギーが丸々返ってきて、徳を貯蓄できます。

陰徳陽報とは中国のことわざです。陰徳を積めば、陽報(良い知らせ)あり。あなたが人生うまく行かないのは、徳が少ないかもしれません。徳を積めば、あなたのステージがあがります。人生がうまく回りはじめるでしょう。

 

 

実行はかなりむずかしい

 

何だ簡単だと思われるかもしれませんが、陰徳を積むのはすごくハイレベルで難しいです。だって、これやれば運が良くなると思ってやっていると、自我が入ってしまい、運が良くならないじゃねえかといって、不満をもってしまいます。負債が貯まる行為なら、本末転倒です。心から他者のために尽くさないといけません。それが難しいんです。本当に無我になった時に、この陰徳はびっくりするくらい溜まっていきます。

 

 

 

~まとめ 陰徳を積む人の運命~

  • 法則は、誰が見ていようが、誰が見ていまいが、真実に対して作用します。

そのため、法則に則った生き方をしていくのであれば、誰が見ていようが、見ていまいが、常に繁栄的な原則(正直・誠実・感謝・奉仕・謙虚・良心・他者の幸せを願う心)に沿って生きていくのも、悪くはないのかもしれません。→破滅原理と繁栄原則(2つの原理原則)

 

 

  • 他人が見ていなくても、実は、常に自分自身は、自分の行動を見ています。

そのため、「誰も見ていないから」ということで、破滅原則(今さえ良ければ良いんだ・自分さえ良ければ良いんだ/金さえ手に入れば良いんだ)的な行動をとっていると、セルフイメージが低下したり、心の平安/平穏を失っていったり、負の世界観をもつことになっていったり・・となり、長期的には、自分自身が苦しむことになるのかもしれません。

※世界観とは?→行動を変える方法(「見え方」「思い込み」「あり方/行動」の関係性)

 

 

③陰徳を積むことは、誰も見ていないし、知らないことであるため、報われない善行を積むことに感じられます。

しかし、エネルギー問題の解決策(人間や現実の正体)にもあるとおり本来は、全てが同じ1つであり・・自分の行動は、いつも全世界・全宇宙が見ているものなのかもしれません。

そうであれば、「誰も見ていないから」ということで行う悪行は、それ相応の結果を招き、と同時に、誰が見ていなくても善行を積めば、それ相応の結果を得ることになるのかもしれないでしょう。

 

 

この世界の、真実の全体像が見えてくると、【要領の良い行動】に対する認識の仕方/考え方が、変わってきたりもする場合があるのかもしれませんね。

 

 

 

引用:http://tensei.nanaki.biz/ukin.html

引用:http://miracleexist.info/goodconduct-331.html

見えないところで善いことをする」への1件のフィードバック

  1. 『見えないところで善いことをする』

    こちらのブログを読ませて頂き、ありがとうございます(*’▽’*)

    昔も今も、何事にも比較的、嘆いてばかりの私…。

    常に何かにボヤき、不平不満ばかりを口にし、

    善くないコトが起こる度に他人のせいにして、

    自分は何も悪くない…周りがおかしい…異常なんだ…

    そんな風にしか思えませんでした…(現在まで)

    しかし、

    陽徳と陰徳…このことこそが、

    どちらも今の私には、とても必要な善行だと思いました。

    頭の固い私がこの善行を今すぐにでも、

    スムーズに行っていけるのだろうかと、不安もありますが、

    まずは、やらずしてモノを語るより、

    『やってみる精神』の方が、よっぽど意味のあるコトだと思います☆

    ありがとうございました!!

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