自分を守ってくれる知恵

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『破草鞋』(はそうあい)

 

 

 

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道を素足で歩いたら、小石などで足を傷つけてしまうかもしれません。

履物は、道を歩いていく時、自分を守る上で必要なものです。

 

『破草鞋』は、使い古した「わらじ」のこと。

ぼろぼろになってしまいましたが、これまで生きてきた中で、ずっと自分の身を守ってくれたものです。

また、「わらじ」は知恵のことでもあります。

禅僧は、古くなった「わらじ」を洗って壁の下地に使っていたそうです。

培ってきた知恵や経験は、目に見えない土台となって私達を支えています。

 

 

 

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さて、ここで皆さんの反応を思い浮かべてみます。

 

この説明で「あ~、なるほどね」と感じることができた方。

あなたは、しっかりと『知恵』が何であるか、『知識』が何であるか、

わかっている方とお見受けします。

 

すばらしい!

 

 

 

 

それでは、この説明で「どういった意味なのか、良くわからない」と感じた方。

これから、私と学んでみませんか?

 

まずは、『知識』と『知恵』の違いについて、説明しなければなりません。

 

○『知識』とは、知ること。認識・理解すること。また、ある事柄などについて、知っている内容。(デジタル大辞泉より)

英語では、knowledgeと訳しますが、学識や見聞、学問といったことをさします。

もう少し簡単な表現をするなら、「生まれてからこれまでに学問として、経験として学んだこと」と言ったところでしょうか。

 

では次に、

○『知恵』とは、世界全体を意味づける根拠にかかわる統一的な知を言います。

英語では、wisdomと訳し、賢いこと、賢明や分別があるといったことをさします。

これも簡単に表現するなら、「知識の組み合わせによって物事を解決する力」と言ったところでしょうか。

 

 

 

私達人間は、とても弱く、武装していないと「あっ」という間に潰されてしまいます。

この武具は、日々進化しており、その時、その時代に合った装備をしないと、自分を守ることが出来ません。

 

例えば、ちょっと前までは携帯電話やスマホといった「アイテム」はありませんでした。それらがなかった時代、人々はどんな生活をしていたでしょう?

会社や家族への連絡方法は、公衆電話や、時には手紙などを使っていました。

この頃の常識では、その「武装」で十分通用していたわけです。

しかし、現在ではどうでしょう?

携帯電話やスマホといった「アイテム」は必儒なものとなっています。

 

 

 

さて、「わらじ」の話に戻りましょう。

ここで言う「わらじ」とは、その時代時代の骨格・土台となるものです。

現代人たるもの、携帯やスマホ、パソコンを使いこなすなどと言ったことは、

 

当たり前

 

であることは、皆さんも理解できるでしょう。

携帯やスマホ、PCなど、その様な「アイテム」があるという事を知っているのが『知識』と言います。

携帯やスマホ、PCを使いこなし、活用している。使いこなしているのが『知恵』と言います。

 

 

どうです?

少しは理解できましたか?

 

 

『破草鞋』は、今の時代、急速に進歩しています。

少しでも「怠け」て「学ぶ」ことを怠ってしまうと時代に取り残され「古い人」になってしまいます。

 

 

ですから、私達は常に学び、進化して新たな「武装」をし続けなければなりません。

しかし、その根源にあるものはいつの時代でも変わりません。

『破草鞋』を、上書きしていくことが、必要とされているのです。

 

 

 

どうか皆さん。『破草鞋』の大切さを忘れない様に、日々の生活を送ってください。

★相手の立場に自分を当てはめて★ と ☆お互いを認め合えば心穏やかに☆

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今回は 『論語』 と 『禅語』 の2つを同時に紹介します。

 

なぜ 『2つ』 なのかは、

 

今回のテーマが 『客観的に物事をとらえる』 という内容だからです。

 

 

私達は、とかく 『俺(私)は、こんな病気になってしまって誰も理解してくれない』 などと悲観的な考えを持ちます。

しかし、よく考えてみて下さい。本当に 『誰も』 理解してくれていないのでしょうか。

 

 

今回は、その事を理解し、 『まずは己の襟を正す』 ことを促したいと思い、

これから解説する2つ、 『論語』 と 『禅語』 を解説します。

 

 

とても厳しい内容となります。

これを読んで 『心が折れる』 かも知れません。

 

しかし、これから書く内容は、まぎれもない 『事実』 であり、その 『事実』 を認め、

受け入れなければ、私達の病は 『一生治らない』 と思って頂いても結構です。

 

 

今回は、私自身が 『鬼』 となり、皆さんに 『忠告』 しますので、心して読んでください。

 

 

では、さっそく参ります。

 

 

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★『己の欲せざる所は人に施す勿れ』★

(おのれにほっせざるところは ひとにほどこすなかれ)

【己所不欲】

 

 

☆『和敬清寂』☆

(わへいせいじゃく)

 

 

 

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★『己の欲せざる所は人に施す勿れ』★

 

知らず知らずのうちに人のことを傷つけてしまった。または、人に傷つけられてしまった。

 

どなたでも、その様な経験があるでしょう。

 

『相手が喜ぶと思ったのに、逆に怒らせてしまった。』

 

『相手からかけられた言葉に、ひどく傷つき傷心してしまった。』

 

 

何げない自分の行動や、他人の言動や行動・好意に、なぜか不快な思いをしてしまう。

その様な経験は、どなたでもあると思います。

 

その思いがけない反応も、よく考えれば、 『自分(相手)勝手』 や 『自己(他者)中心的』 な自分(相手)への思いやりが原因かもしれません。

 

 

自分(相手)の立場と、相手(自分)の立場は 『いつも』 『必ず』 違います。

 

自分(相手)が喜ぶことでも、相手(自分)が喜ぶとは限りません。

 

 

相手(自分)の立場を良く考えて、相手(自分)の立場に自分(相手)を当てはめて考えてみる。

そうすると、どうすれば相手(自分)が喜ぶかがわかるようになります。

 

 

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☆『和敬清寂』☆

 

野球にはバッター、ピッチャー、キャッチャーなど様々なポジションがあります。

全員がバッターだったら、チームがいくつあっても試合になりません。

 

 

『和』 とは、皆が同じになるのではなく、お互いの気持ちを受け入れること。

そうすることによって、清々しく穏やかな人間関係が成立します。

 

『人』 は、それぞれ 『立場』 や 『個性』 が異なります。

それを敬い認め合ってこそ、集団の中で活かされるものです。

 

 

『私とあなたは違う』

 

 

このことを受け入れ、理解しないと、 『心の葛藤』 となってしまうでしょう。

 

 

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今回の、 『論語』 と 『禅語』 について、上記で記述した内容を読んで、

即座に 『何を言わんとしているのか』 を理解できた方、

 

あなたは、近い将来、必ず 『病』 を克服し元の生活に戻ることができるでしょう。

 

 

 

そうでない方。

申し訳ないのですが、 『失格』 です。

 

今まで、いったいあなたは 『何を学んできたのですか』

 

 

 

 

この言葉は、どなたでもご存知でしょう。

 

『人のふり見て我がふり直す』

 

 

この言葉は、単に 『人』 の行いの良し悪しに関係なく、

『客観的』 になりなさい。

と、説いているのです。

 

 

 

『私はうつ病です』

 

そんなことは、周りの 『人』 は百も承知です。

 

『だから何?』

 

と、思われて終わってしまうのが関の山です。

 

 

 

『カレーライス』 が好きな人に 『ラーメン』 のおいしい店の話をしたところで、

何の興味を示さない。

それは、 『自分』 が 『ラーメン』 が好きだからであって、 『相手』 の気持ちを何ら考えていないから。

 

その逆に、 『相手』 は 『カレーライス』 が好きだから 『ラーメン』 の話など

『どうでもよい』 事なのです。

 

 

 

 

こうして書いている、私自身も 『うつ病』 です。

しかし、私が書く物は、 『客観的に自己分析』 しながら書いています。

 

私の書く内容に 『賛否』 があると思いますが、

皆さんは 『うつ病』 という病気を 『言い訳』 にしていませんか?

 

本当に 『治療し完治させたい』 と、 『心の底』 から願っていますか?

 

 

家庭を持っている方、両親と同居をしている方、独り暮らしや母子家庭。

それぞれ、生活環境は違っていても、

 

『うつ病』

 

という 『病』 を理由に、逃げていませんか?

 

 

 

『うつ病』 は、 『心の風邪』 です。

『心』 を治療するには 『心が強くなる』 しか手立てがないのです。

 

 

 

 

冒頭で申しましたとおり、

 

私は 『鬼』 となり、皆さんに 『忠告』 します。

 

一切の、妥協はしません。

 

 

この内容を読み、 『去る者』 がいるかもしれないと 『覚悟』 しています。

 

 

それでもかまいません。

 

なぜなら、私に関わった 『皆さん全員』 が、

 

『うつ病を克服』

 

して欲しいのです。

 

 

そして、私自身も 『克服』 したいのです。

 

 

どうか皆さん、

 

 

『強い信念を持ち病に立ち向かってください』

 

 

お願いします・・・・

 

 

 

 

今回は、相当 『厳しい言葉』 を書きました。

 

気を悪くされた方には、この場を借りて謝罪いたします。

 

しかし、しっかりと受け止めて下さい。

 

 

私達の病気は、必ず治ります。

だからこそ、 『相手の気持ち』 を理解する努力をし、 『自分の気持ち』 を押し付ける様なことはしないで下さい・・・・

失敗から自分が見えてくる

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皆さんは、日常生活の中で

 

「またやっちゃった」とか

 

「以前にも同じことがあったな~」などといった

 

『失敗』の経験はないでしょうか?

 

 

「人」とは『間違い』を犯す生き物です。

 

その『失敗』を、なぜか「繰り返してしまう」生き物です。

 

 

今回はその様な経験から学びを得る為の『論語』を紹介したいと思います。

 

 

 

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『人の過つや、各々其のとうに於いてす』

(ひとのあやまつや、おのおのそのたぐいにおいてす)

【人之過也、各於其黨、觀過斯知仁矣、】

 

 

 

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人はだいたい同じパターンの失敗をするものです。

 

○ある人はいつも慌てて大事なことを抜かしてしまう。

 

○ある人はのんびりして、時間に間に合わない。

 

○ある人は優し過ぎてよく騙される。

 

○ある人は物事を大きく見ることができず正しく判断できない。

 

 

 

失敗を見れば、その人の人となりがわかってしまいます。

 

その人が必要以上にこだわっている何か、

とらわれている何か・・・。

 

それが失敗に表れてしまうのです。

 

 

 

あなたはどんな間違いが多いでしょうか?

 

失敗のパターンを知れば、自分の中にある余計なこだわりに気づくことができます。

 

その余計なこだわりを取り除いていくことで、また一つ大きくなれるのです・・・。

 

 

 

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私は、よく「人の言葉を鵜呑み」にして、失敗することがあります。

 

例えるなら、学校の試験で、隣の「勉強のできる生徒」の答案を覗き込み、あたかも「その回答が正しい」と思い込み、結果、間違った回答をしてしまうようなもの。

 

 

間違ってしまった問題を「もし自力で解いていたら」この様な事になっていなかったでしょう。

 

 

どんなに偉い学者や政治家がテレビなどで持論を展開していても、その言葉を鵜呑みにして、「自らが考える」ことなく賛同してしまうと、

 

 

『本当の正解』

 

 

を、導き出すことができなくなってしまいます。

 

「他人の言葉を信じるな」と言っているのではなく、

 

きちんと「自らも考え」、「本当の正解」を導き出すことが大切なのではないでしょうか。

 

 

「精神疾患の患者」とは「○○なんだから××であるべき」などといった

「世論」があります。

 

 

その「世論」が本当に正しいのか、きちんと自分の頭で考えて、

 

その「世論が間違い」であれば、「正しい答え」を主張すべきだと私は思います・・・。

いつでも素晴らしい時を楽しみ、前向きに受け止める

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今回は、ふたつの『禅語』を紹介します。

ひとつは、『人間好事節』

そしてもう一つは、以前紹介した 『日々是好日』です。

 

どちらも、「日々を気持ちよく過ごしたい」 「心を良好な状態に保つ」

 

がテーマの『禅語』です。

 

シルバーウィークも終わり。いつもの日常が帰ってきます。

人によっては 「憂鬱」 と感じる方もいるかと思いますが、

そんな時に、この『禅語』を思い出していただいて、

 

『心をリフレッシュ』

 

して頂ければ幸です。

 

 

 

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『人間好地節』(にんげんこのこうじせつ)

 

『日々是好日』(にちにちこれこうじつ)

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――

 

 

最近の皆さんは、 「憂鬱」 な日々を送っていませんか?

 

こと私は、昨日一日無駄な時間を過ごしてしまいました。

先日のブログで『必要な無駄』について書きましたが、まさしくその様な時間を過ごした一日でした。

ですから、人の事は言えないのですが、季節がら仕方がないのでしょうか

どうしても「気持ちが好転しない」ことは、どなたでもあると思います。

 

私自身、どうしても理解できない 「憂鬱感」 をどの様に解消すればよいかと

いろいろ考えたりしますが、これといった具体的な理由と解決方法がないのが

実際のところだと思います。

 

そこで今回は、自分自身に言い聞かせる意味でも、このテーマを取り上げました。

 

 

 

「いつでもすばらしい時を楽しむ」

 

そして、

 

「物事を前向きにとらえ、幸せかどうかは、己の『心』が決める」

 

 

この事を、意識しなければ、すべての物事は好転しないと思いました。

 

 

 

☆ まずは、『人間好地節』 について、解説をしてみたいと思いますので

皆さん御自身に当てはめて、思い当たることがあれば改善してみて下さい。

 

 

春は花が咲き、夏は涼しい風が吹き。秋は美しい月が輝き、冬は雪が舞い降りる。

 

日本には美しい四季の移ろいがあります。

一年中すばらしい時期であるにもかかわらず、それに気づかないのは、

私達の『心』が、ほかの雑多なことに惑わされているから。

 

夏は暑い、冬は寒いと嫌なことばかり目を向けていたら、

せっかくの素晴らしい季節も楽しめないまま、あっという間に過ぎ去ってしまいます。

いつでも素晴らしい時なのですから、それを楽しめる様な気持ちの余裕を持ち、

それを楽しめるような気持ちで毎日を過ごしてみてはいかがでしょう・・・

 

 

 

☆ 次に、『日々是好日』です。

 

 

鎌倉時代や室町時代のはじめ、いわゆる争いが始終行われていた時代、

この時代に、『禅』の精神は武士の間で広く支持されるようになったそうです。

 

武士は皆、常に死と向き合っていました。

いつ戦(いくさ)が始まるかもわからない。

もしかしたら明日には、わが身にそれが降りかかってくるかもしれない。

 

そんな状況で、『禅』の精神がぴったりと当てはまった様です。

明日をも知れぬ命だからこそ、

 

「今、このときを一生懸命に生きよう。」

 

「この瞬間を精一杯、楽しもう。」

(これは 『一期一会』 の精神でもありますね。)

 

 

嬉しいことがあった日も、嫌なことがあった日も、

それは二度と繰り返すことのない

 

「大切な一日」

 

であるという意識と意味。

その日を 『好日』 にするのは、

 

「起こる出来事でも、出会う誰かでもない」

 

『自分自身の心』 なのです。

 

 

たとえ同じことが起きても、それを受け止める 『心』 次第で、

まったくイメージは変わってきます。

起きてしまった出来事は変えることが出来ないけれど、それをどうとらえるかは、

全部自分で決めることができる。

 

せっかくなら、今日一日を 『好日』 として締めくくりたいものです。

 

 

「憂鬱」 だと感じた時、

それを『好日』 だと思えるようになれたら、どんなに充実した時間を過ごすことができるでしょう。

 

『自分自身の心』 次第で、それは可能なのです。

 

 

――――――――――――――――――――――――――――

 

 

どうか皆さん、「憂鬱」 と感じた時には、この言葉、精神を思い出してください。

さすればきっと、

 

 

「いつでもすばらしい時を楽しむ」

 

「日々を気持ちよく過ごす」

 

「心を良好な状態に保てる」

 

 

ことが出来かもしれませんよ・・・

あなたはあなたのやり方で

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ここ最近になり、ようやく「秋」らしい気候になってきました。

早朝や夕方になると、多少の寒さを感じ袖丈の長い着物が必要と感じているでしょう。

 

外出すると、人それぞれ「長袖や半袖」といった思い~の格好で歩いている姿を見かけると思います。

 

 

さて、今日紹介する 『禅語』 は、そんな季節感を比喩して教えを説く『禅語』です。

昨日と同様、「固定観念」にとらわれず「自分らしさ」が何であるかを

 

『ゆっくりと』

 

考えてみてはいかがでしょうか・・・

 

 

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『鶏寒上樹鴨寒下水』(とりさむくしてきにのぼり かもさむくしてみずにくだる)

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――

 

 

鶏は寒い時の上にのぼり、鴨は寒いと水にもぐります。

 

 

『鳥』という同じ生き物でありながら、『寒さ』への対処方法が、まったく異なります。

 

 

私達人間も、

 

『目的』

 

が同じであっても、それに対する取り組み方は一人一人違います。

 

 

 

『うつ病』となり、

 

「音楽を聴いて心を落ち着かせる人」もいれば、

「散歩や運動をして心を落ち着かせる人」もいますよね。

 

 

より良い結果を残した『他の人のやり方』 を真似しても、

 

それが自分に合っていなければ 「うまくいきません」 し 「ストレスの原因」 となってしまいます。

 

 

自分なりの方法を探すのは、

 

『大変時間がかかる』

 

作業だと思います。

 

でも、自分らしい方法を見つけて、

それを 『実行』 して、

『行動』 する。

 

 

 

これこそが、私達の病気を治す

 

『近道』

 

であり、また、

 

『自分の魅力』

 

を高める事にもつながります。

 

 

その先にあるものは、

 

『失った自信』

 

を取り戻すことが出来るなんですよ (*^。^*)

 

 

 

みなさん、

 

私がこうして 『禅語』 をブログとして書き続けていますが、

あまり、この言葉に惑わされることなく、

 

 

『自分に合った方法』

 

 

を見つけて下さいね

心と体

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私は、現在薬を服用して「平常心」を維持しています。これは、私の本意ではありません。

私の目指す方向は、薬に頼らずメンタルを安定させ「言霊」によって回復・治療に努めたいと思っています。私が『禅語』や『論語』を学びはじめたのも、そのためでした。

 

『禅語』で馴染みのあるものとして“一期一会”があります。あえてその意味をここで解説することはしませんが、“一期一会”を代表とするように「言霊」には、人の『心(こころ)』に響くものが多く存在します。

その多くは『心(こころ)』に語りかけメンタルを浄化するものです。この浄化作用によってストレスを軽減・消去し、健全な『心(こころ)』を取り戻すのです。

 

『心(こころ)』を浄化するものは、なにも「言霊」だけとは限りません。音楽を代表とする“響き”や、香りといった“嗅覚”でも『心(こころ)』を浄化してくれます。“好きな音楽を聴く”“公園や自然の中で草木の香りを嗅ぐ”、その様なことでも『心(こころ)』は浄化されるでしょう。

 

 

さて、それでは本題に入りたいと思います。

『心と体』のバランスを取るためには、まず『心(こころ)』を自分の意のままにコントロールできなくてはなりません。先に記述したように、その方法は多種にわたって、また人によって異なります。まずは“自分にあった方法”を見つける必要があります。

ここでは、その方法を見つけるヒントとして「ひとつの考え方」を紹介してみたいと思います。

 

 

【「心の間」から生まれるもの】

何も考えず「ボーッ」とした状態。それを意識的に創りだすのは、たやすいことではないでしょう。“禅”の修行僧でさえ、それを会得することは難しいことです。

しかし、毎日を繰り返し送っていると、無意識のうちに「そのような状態」になっていることがあります。

 

空を見上げて「ああ、きれいな雲だな」とか、桜の木の下で「ああ、なんて良い香りなんだろう」と「ボーッ」としている時があります。そして“ふと”我に返り「あれ、今日は何を考えているのだろう。感じているのだろう。」と思ったりする。

 

どうか、こういう瞬間を、ぜひ大切にして頂きたいのです。

 

仕事や日常生活において“アイデア”を出そうとするとき、誰もが必死になって捻り出そうとします。でも、良い“アイデア”というものは、そうそう生まれてはこないものです。

 

「一瞬たりとも考えることをやめず、ひたすら考え続ける」

 

実は、この行為は良い“アイデア”を生み出すには逆効果なのです。

“アイデア”や“ひらめき”というものは、『心(こころ)』の“間(すきま)”にあります。

「思考と思考」の狭間に存在しているのです。

 

アインシュタインの有名な言葉で“天才とは、1%の才能と99%の努力である。”というものがあります。

一般的には、この言葉の解釈は「99%の努力により発明は生まれる」と考えられています。しかし、実はそうではありません。この言葉の本当の意味は「1%の“種”がなければ、どんなに努力(99%の努力)をしても、発明は生まれない」というのが正しい解釈なのです。

 

『心(こころ)』を自分の意のままにコントロールする為に、その思考の狭間に『心(こころ)』を導くための、“何も考えない時間(1%の才能)”を大切にする。

“禅”において、「坐禅」や「立禅」は、その境地を得るための方法のひとつなのです。

 

 

 

では、『体(からだ)』は、どの様に“整える”ことが出来るのでしょう。

ここで、重要となるのは『心と体』の関係です。

『心と体』の関係は、例えるなら“鶏と卵”の関係といったところでしょうか。

 

『心(こころ)』がシンプルに研ぎ澄まされていれば、『体(からだ)』も自ら「すっと引き締まる」と“禅”では説かれています。

 

 

これは、“心と部屋”の関係でも同じことのようです。

『簡素』と『質素』という言葉があります。

『簡素』な生活こそが美しい。それこそが“禅”の精神だといわれています。

 

最近、良く耳にする言葉として「断捨離」というものがあります。

“無駄なものを捨てシンプルな部屋にすることで、心も体もリフレッシュする。”

そんなところでしょうか。

 

話しを元に戻しますが、

『簡素』というものは、“無駄なものを削ぎ落とす”ということです。本当に必要なものを見極め、それを大切にしていくことです。

それに対し『質素』とは、まったく別もの、まったく違うものです。

『質素』というものは、“価値の低いもので生活する”ということです。価値といっても、それは値段だけではなく、その物に対する「思いの深さ」も含まれます。

 

『心(こころ)』が先か、『体(からだ)』が先か・・・。

 

『心(こころ)』の“間(何も考えない時間)”を見いだすのか、『体(からだ)』の“ダイエット(『簡素』や『質素』)”を目指すのか。

★「気持ちはあっても、体が動いてくれない」

★「心が沈み、気力や意欲が湧きでない」

まさしく『心と体』のバランスが崩壊しているからこそ、病気の改善に結びつけることが出来ない。“心の病”“心の風邪”といわれる由縁でしょう。

 

 

ここには「答え」はありません。「説明書」もありません。

あるのは

『心(こころ)』とは?

『体(からだ)』とは?

そのことを“考えるためのキッカケ”しかありません。

なにをどう導き出すのか。その答えは“あなた自身の中にある”ことを忘れないで下さい。

無理に白黒つけない。善悪で物事を考えない。そして、あるがままを生きる

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唐突ですが、「折り合いをつける」ってどういう事だと皆さんは思いますか?

真っ先に思いつくことは『白黒はっきりとつける』って事ではないでしょうか。

 

 

でも、『白か黒か』にこだわってしまうと、『灰色』の美しさを忘れてしまいます。

 

 

仏教というのは大変寛容なものです。

 

白か黒かで考えない。白もあれば黒もある。

もちろん灰色だってあるし、そのグラデーションも一色ではない。

そんな大らかな心が根本にあります。

 

 

そもそも、日本の仏教というのは、その成り立ちからして大らかです。

 

太古から日本には神道があり、あるとき中国から仏教が入ってきました。

そこで日本人は『神道か仏教か』と争うのではなく、

何とか共存できないものかと考えました。

 

 

『本地垂迹説』(ほんちすいじゃくせつ)

 

という言葉があります。

神道と仏教を共存させるために、神様と仏様の中間みたいなものをつくってしまったというお話です。

 

それがあちこちの神社に祭られている権現で、

その正体は仏様の化身で神様の姿になったというものです。

 

 

なんとも適当と言えば適当ですが、

これこそが日本人の知恵だと思います。

 

互いにうまく折り合いをつけて、争いごとを避けながら共存していく。

 

 

物事には白黒つけられないこともあります。

ならば無理してはっきりさせるのではなく、中庸で良いのではないでしょうか。

 

 

 

だから?

日本の政治は玉虫色なのかもしれませんね・・・。

 

 

 

『白黒つける』

 

ということは、物事を『善悪』で分けることと言い換える事も出来ると思います。

では、物事を『善悪』で分ける必要はあるのでしょうか?

 

 

例えば、「呼吸をするのに好き嫌い」はありませんよね。

 

ひとつの道を究めるということは、特殊な事でもドラマチックなものでもありません。

 

 

毎日同じことを繰り返す。

 

 

地味で地道な事を当たり前に続けていく。

そんな繰り返しを経て、ある時ふと気づくのです。

 

『ああ、これが私が探していた答えだったんだなあ~』

 

てな具合に・・・。

 

 

 

高名な僧侶だって、自分の宝物に気づくために修行を重ねています。

 

オリンピック選手だって、ひたすら泳いだり、走ったり、練習を重ねています。

 

 

そうして、あるとき道を究める。

そういうものです。

 

 

着地点ばかりに気を取られていると、

道程がおろそかになってしまいます。

 

結果を出すことにとらわれていては、

 

 

『いま』

 

『この瞬間』

 

に、全力を出すことが出来ない。

 

 

『善を思わず、悪をも思わず』

 

今、やっていることを善悪で判断しないという意味です。

 

 

例えにだした、「呼吸をするのに好き嫌い」、『好き』とか『嫌い』

で分けないのと同じです。

 

呼吸をするのと同じように、

 

 

『当たり前のことを当たり前にやっていく。』

 

物事に善悪をつけようとするから、

『悩み』や『ストレス』が生まれるのではないでしょうか・・・

 

 

では、私達は、どうやって物事をとらえ、考えて生きてゆけばよいのでしょうか。

 

 

結論からいってしまうと、

 

『あるがまま』を見て、『好き嫌い』で悩まない。

 

 

これも例えるなら、

仕事をしている方であれば経験があると思いますが、

「部下のせいで」とか「あの上司さえいなければ」とか、

とかく人間関係は悩ましいものです。

 

最初から付き合わなければいいのだけれど、仕事などではそうもいきません。

 

 

『人間関係の悩み』

 

これは、永遠のテーマと言えるでしょう。

 

 

「禅の庭の父」と称される夢窓国師(むそうこくし)は、次のように述べています。

 

『便(すなわ)ち見る物、否を終へずして、悪事転じて善事となり、法定相なし。逆縁却って順縁と為ることを。此れ其の禍福同源(かふくどうげん)、冤親一体(おんしんいったい)の所以(ゆえん)なるものなり。』

 

 

ん~、何を説いているのか私にも理解できません (^_^.)

 

この言葉は、これまでは憎しみをもってきた敵を手厚く供養し、自らの行いを懺悔(ざんげ)することにより、逆縁が順縁に転じるという意味だそうです。

 

 

つまり?

災いも福も、その源は同じところから来ているもの。

憎しみも親しみも、実は全く同一のものであるということらしいです。

 

 

では、その正体は何か・・・。

 

ずばり、

 

 

『あなたの心』

 

です。

好きか嫌いかは、全部自分の心が決めている。

 

 

『悟無好悪』(さとればこうおなし)

 

あるがままを見られるようになったら、好きも嫌いもなくなるようです・・・

 

 

いま、私を含め、思い悩み苦しんでいる皆さんにお伝えしたいのは、

 

 

『自分にないものを求めない』

 

ということです。

 

 

『結果』を出すこと(私達の場合、病気を治す)に焦りは禁物であると言う事。

 

 

『夏炉冬扇』(かろとうせん)

 

夏の炉と冬の扇子、その時には必要のないものです。

今すぐには必要がなく役に立たなくても、必ず役に立つ時が来る。

じっと時機を待つことの大切さを意味している言葉です。

 

 

一口に仕事といっても、華やかで周囲から羨ましがられるようなものもあれば、

地味で目立たない仕事もあります。

同じやるなら、目立つ仕事をやりたいと思うのが人情でしょう。

 

でも、華やかな仕事をしている人も、はじめからそうだったわけではありません。

地味な仕事をコツコツと積み重ねた結果として、『いま』があるのです。

 

 

一見、役に立たないことが、巡りめぐってひとつの結果に結びつく。

いま頑張っていることはひとつも無駄にはならない。

 

 

今の自分に自信がなくても、

 

『自分の心にあるもの』

 

 

だから皆さん、

 

『のんびり』

 

『じっくり』

 

『焦らず』

 

自分と向き合って、やれる事を『今』やっていきましょうよ (*^_^*)

 

焦ったって、なんも良い事なんかありはしないんですから・・・。

抗うつ剤と虫歯の関係

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最近、歯医者から「歯が弱っている」と言われ、ちょっと調べてみました。

すると意外なことが判明したので書いてみたいと思います。

 

昔から、抗精神病薬を服用している精神疾患の患者には、虫歯が多くみられる傾向が知られていました。これは、歯口の清掃が充分ではないためと考えられていましたが、現在では、薬の副作用である唾液分泌の抑制が大きな原因であると判明しています。

 

虫歯は、砂糖などを摂ると、歯垢中に生息する細菌(虫歯菌)により分解されて酸に変わり、歯の表面を覆うエナメル質を溶かすことで起こります。唾液の分泌は、酸を中和させ、溶け出たミネラルをエナメル質に補って再石灰化させるのに役立つことから、唾液分泌が抑えられることにより虫歯が起こりやすくなると考えられています。

 

このような唾液分泌抑制の副作用がある薬には、抗精神病薬の他に三環系抗うつ薬、抗ヒスタミン薬、モルヒネなどがよく知られています。

 

抗うつ剤により唾液の分泌が少ない状態なので、オーラルケアは普通の人よりしっかりとチェックしたほうが良いようです。

また、定期的に歯医者でのチェックも必要かもしれません。

 

ちなみに、私は普通に歯の手入れをしていたにもかかわらず、1年ほど歯医者に行ってチェックしてもらわなかった結果、全体が虫歯となり、神経までいってしまいました。

しばらくは、歯医者通いになります。

 

歯は、一度ダメになると二度と復活しません。何歳になっても自分の歯で、美味しい食事をしたいのであればマメに歯医者に行きましょう。

世代間格差

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最近、身の回りで若者世代と中年世代の「価値観」の違いによるトラブルを目の当たりにしました。ここでいう中年世代とは、私を含む40代以上の者たち。若者世代とは、その中年世代から見た「若年層」を指します。

そこで、少々古い記事ですが『20代女子から総スカン! 勘違い40代男の大暴走』というタイトルの記事を紹介したいと思います。

これは、2012年01月26日の月間SPA(http://nikkan-spa.jp/138351)で掲載されたものなのですが、その内容は次の様なものです。

 

 

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昔バリバリだった肉食の40代男が若い女子に人気だと、少し前から言われてはきたが、それを鵜呑みにしているのか調子に乗っている40代もまた多くいるそうで……。完全にスベリまくっているオッサンたちの行動による20代女子たちからの苦情が数多く寄せられた。

 

◆なんか発言がめちゃくちゃサムい!

「結婚しているくせに『今度デートしようよ!』とかさらっと誘ってきますね。まぁ、奥さんがいるだけで論外なんですが、それを断る理由にすると、『出会ったのが遅かったよね、僕ら』とかサムいことを平気で言う。実際に行動起こせないくせに口だけの軽いオッサン(45歳)は草食男子よりもタチが悪い」(24歳・MKさん)

「既婚者(48歳)だから安心して仲良くしているだけなのに、『君ぜったい僕のこと好きでしょ!』とドヤ顔で聞かれた。あきれて何も言えなくなっていたら『なにテレてんだよ』と頭をポンポンされた。鳥肌が立ちました」(29歳・OMさん)

いつの時代の口説き文句だろうか。もはや通用しない。

 

◆いい年こいて若者に媚びる!

「いつまでも若くいたいのかもしれませんが、若者の輪に入りたがるオッサン(44歳)。口癖は、『俺ね、若い心は忘れたくないんだよね~』。見た目は確かに若くて、男女グループでの付き合いにフットワークが軽いのはいいんですが、『おー、今度女子会やるの? マジ? 俺も行っていい?』とか、あまりにもアクティブすぎるノリもどうかと思います。ありえなさすぎて、いちいち断るのも気分が悪いです」(27歳・IMさん)

チャラいオッサンはウザがられるだけ。年齢だけでも意識すべし!

 

◆顔文字O(≧∇≦)Oオンパレード!

「オッサンが顔文字ばかり使うと、途端にテンションが下がるのはなぜでしょう。塾講師をしている人(41歳)なのに、『うわぁいヽ(*´∀`)ノ●●ちゃんからメールが来てうれしいなー\(@^0^@)/』とやたらとテンション高めのメールを打ってくることもあれば、ときには説教っぽいことまで顔文字を入れてくる。毎日眠くてヤバイってtwitterに書いたら、『若者はね、眠いくらいがちょうどいいんだぜぃ!(*^ー゚)v ブイ♪』とかいうメールが来たときは、さすがにイラっときました。ホントに教師なのか?」(26歳・YKさん)

文面がバカ丸出しだと、人間の質を下げるようだ。

 

◆口説きに失敗するとマヌケな言いワケをする

「夜景が見られる高層ビルのレストランに連れて行ってもらったんですが、そのオッサン(42歳)は気分が盛り上がったのか、食事を終えた頃、後ろから抱き寄せられて無理やりキスしてこようとしました。うまくかわしてちょっと怒りましたが、『夜景と君があまりにも魅力的だからキスしたくなっちゃった!』『君はこの夜景にドキドキしてこないのかなぁ?』とヘラヘラしているのです。もうアホかと。『年上の僕が払って当然だよ』と聞かなかったんですが、無理やり割り勘して帰ってきました!」(28歳・NYさん)

相手の気持ちを読めない痛い人になっては逆効果である。

 

◆ストーカー並みの行動力!

「友達の会社の上司として紹介されたオッサン(49歳)が飲みの帰りのタクシーのなかで『このあとどうする?』と耳元でささやいてきた。いつの間に手を握ってくるし、要所要所でフリスクごりごり噛んでやる気マンマンだし。結局家までついてきた。酔っていたんだと安心していたら、休みの日のたび、『今、家? 遊びに行こうよ! 車で近くに来てるんだ』とかメールが来る。いつも適当に言い訳を考えて、逃げています」(26歳・CHさん)

これは年齢に関係なく、犯罪者一歩手前である。

 

年の差カップルや夫婦などが生まれる大きな要素として、たしかに行動力はあるかもしれない。だが、勘違い行動はむしろ逆効果なので注意が必要だ。

 

 

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どうでしょう?

40代の私にとって、少々耳の痛い内容だと思いました。

すべての40代男性が、この様な行動をとっている訳ではないのですが、やはり「悪いイメージ」は若年層には強い印象を与えてしまうのだと思います。

 

では、優れた管理職や人望が厚い、信頼されている40代の男性は、どの様な意識をもって若年層とコミュニケーションを取っているのでしょうか?

 

 

 

前ふりが長くなりましたが、今日紹介したい『論語』に、その答えとなる要素があると思い紹介したいと思います。

 

 

後生畏るべし(こうせいおそるべし)

 

要約すると「後輩にも敬意をもつ」ということです。

第二次ベビーブーム世代の40代は、人口比率が高いと同時に多種多様な性格の人物がいます。

その中には、後輩・若者・少年・・・。後から生まれた人達を、若いからというだけで、軽く見てしまうといった者も少なくありません。

確かに、後輩達は頼りなげなところもあるかもしれません。しかし、やがては今の社会をより良くするための力をつけていきます。

そんな後輩達は、よりよい社会を望む人にとっては、頼りがいのある仲間になり、また、今に安住したい人にとっては、自分の立場を危うくする大きなライバルになります。

したがって、40代にとって後輩達は、頼りがいのある仲間やライバルになる可能性があるのです。

しかし、後輩達は40代を仲間として敬意をもって迎え、自分も先輩にとって頼りがいのある仲間になるようにがんばってくれます。

 

そんな関係が築けたら良いと説いたのが、この『論語』です。

 

 

 

さて、ここまで40代の生態について、実際の記事や『論語』を用いて書いてきましたが、すべての年齢層に対し、警鐘を鳴らす『論語』も紹介したいと思います。

 

 

五十にして天命を知る(ごじゅうにしててんめいをしる)

 

要約すると「年齢にあったあり方を意識する」ということです。

それぞれの年代の者達には、それぞれの年齢にあった人のあり方があります。

十五歳ぐらいになれば、

→自分の生きる方向性を決められるように。

三十歳ぐらいになれば、

→今歩んでいる道を迷うことなく進む覚悟を決められるように。

四十歳ぐらいになれば、

→他に惑わされることなく自信を持って生きられるように。

五十歳ぐらいになれば、

→自分の運命を理解し、それを受け入れることが出来るように。

六十歳ぐらいになれば、

→人の意見に偏見を持たず耳を傾けることが出来るように。

七十歳ぐらいになれば、

→思いのままに行動しながら、自然とルールを守れることが出来るように。

 

現実にこの通りにするのは難しいでしょう。しかし、これを意識しながら生きていれば人生がより充実したものになると説いたのが、この『論語』です。

 

 

 

人は誰しも「完璧」ではありません。どんな者でも、どんな世代でも「間違い」は必ず犯します。

 

これは私の主観ですが、人は「完璧でない」から「おもしろい」のだと思います。

人は「間違いを犯す」から、年齢・性別を問わず「仲間」が必要であり、その仲間に対し「敬意」を表すことで、より一層の「高み」に近づくことが出来るのだと思います。

年配者・中堅・若年を問わず、相手に対して「心の曇った眼鏡」(偏見)を捨て、真の眼(まなこ)をもってコミュニケーションを取ることが出来れば、きっとそこに関わるすべての人達は、より多くの「学び」を得ることが出来るはずだと思います。