「忘己利他」(もうこりた)

忘己利他

 

 

私の好きな最も好きな『禅語』であり、言葉であります。

 

「忘己利他」(もうこりた)

 

意味は、自分のことは忘れて人のために尽くしなさい。

 

 

 

「悪事向己 好事与也 忘己利他 慈悲之摂」

 

いいことは人にあげ、悪いことはみんな自分に引き受けなさい。自分の幸せは忘れ、人の幸福のために尽くす。

 

 

 

 

この『禅語』の意味深さ。

いいですね~~~。

 

これを実践するだけの「心の強さ」を持ち、強く生きていくと決めたのです。

「うつ病」と「悪夢」

悪夢

 

 

この1ヶ月、減薬をしており、十分な睡眠がとれてません。

 

そんな中、起きやすいのは「悪夢」をみたりすることです。

 

そこで、今回は「うつ病」と「悪夢」について、ちょっと調べてみたので、同じ悩みを持つ方に参考となれば幸いです・・・。

 

 

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「うつ病と睡眠中の悪夢について」

~マインドフルネス的対処法~

 

うつ病は中途覚醒がよくあります。熟睡できないケースです。

ですので浅い眠りが多い。

浅い眠りの状態を「レム睡眠」といいます。

人が夢をみるのは、この浅い眠り「レム睡眠」の時です。

当然、レム睡眠が多いので夢はみやすいです。

またレム睡眠の時に目が覚めますので、夢の内容をよく覚えてます。

さて、睡眠中は脳が記憶、データ、情動など整理統合をしております。

脳は寝ている時、結構働いています。

脳のデータ処理中に画像が出る、それが夢です。

 

*うつ病の方は起きている時

ネガティブな思考を掴みやすいので、当然、脳内の情報はネガティブな想念が多く、「悪夢」をみやすいかと思います。

また、夢はおかしな内容が多いでしょう?

例えば、「買い物をしていたら、シーンが変わって学生時代に戻っていて、昔、迷惑をかけた友人と話し合いをしていて、また気が付いたら、いつもの商店街を歩いていた・・」など・・・。

夢はこんな感じが多いですよね。

マインドフルネス的に言いますと、これらは脳が記憶、データ、脳内の断片化された情報を、整理統合をしている作業中だと「割り切って」放っておきましょう。

これらに過度に執着すると、脳の作業の邪魔をしてしまいますので、脳にお仕事をお任せしましょう。

「悪夢」も情報処理が終わりますと、自然にもう出なくなってきます。

あと、「悪夢」は霊の仕業・・というオカルト論者がいますが、そういったものはありませんので、全く怖がらなくてよいです。

崇りだとか迷信ではなく、「科学的な脳の作業中」です。

・・・こういった視点でみると、もう怖くないでしょ?

安心して寝てください

 

 

もう一つあります。

それは「抗うつ薬説」

 

「ある特定の」抗うつ薬を服用していますと、脳の影響で「悪夢」をみやすくなると言われています。

 

 

転載:「マインドフルネス心理療法による全く新しいタイプのカウンセリング」

http://shinriryouhou.blog2.fc2.com/blog-category-54.html

 

 

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「悪夢」が継続するなら要注意

 

人によっては、毎日のように夢をみて、それも内容が「悪夢」ばかりで、それになやまされて困っている人がいます。

「悪夢」自体は、医学的に解明されていませんが、「悪夢」が続いている状態が、健康な睡眠状態ではないことは、だれが考えても想像がつきますね。

 

夢は誰でも見ています。

しかし、実際にその内容をハッキリと覚えている方は少なく、断片的であったり、ストーリーが支離滅裂であったりします。

ところが、「悪夢」の場合は覚えている場合が多いので、「悪夢」ばかり見ていると感じる方もいるようです。

 

うつ病の方の中には、「悪夢」を見るという方が比較的多く見られます。

しかし、連続的に「悪夢」をみていても、不思議なことに病気であると判断されません。

このあたりに、医療と患者のギャップがあるようにも思います。

患者の側から見れば、何か自分の頭の中に異変が起きているように感じても不思議はありません。

睡眠の質がわるいのか、他の要因かはわかりませんが、健康な状態で「悪夢」ばかりを見て苦しむ事がないのは事実です。

 

「悪夢」の原因は、精神的なストレスやトラウマがある場合にレム睡眠が通常より増えている時で、その割合は、5~10%程度と報告されています。

「悪夢」を見ない人から見ると、5~10%程度というのはかなり多い数字のようにも見えます。

 

睡眠全体の中にレム睡眠が増えてくる原因は、生活面に問題がある場合もあり、精神的なものだけに限定されるわけではありません。

簡単な例としては、寝室の温度や湿度が適していなかったり、生活のリズムが乱れている時などです。

しかし、これといった原因が見つからない場合がほとんどです。

 

 

それでは、「悪夢」対策というのは何なのでしょうか?

 

原因が精神的な場合は、精神療法をためすことになります。

また、睡眠薬も一つの方法で、ノン・レム睡眠を増やしてレム睡眠を減らす効果があるので、夢をみる機会を減らしてくれます。

ただ、睡眠薬の場合は、精神療法と違って対症療法なので、原因を見つけて解決していく努力を怠らないようにしないと、いつまでも睡眠薬に頼らざるを得なくなるということはしっかりと頭に叩き込んでおく必要があります。

 

 

転載:「睡眠障害から回復して皆元気になろう!」

http://sumin-genki.silk.to/cat0002/1000000003.

眠る前は嫌なことを考えない

眠れない

 

少々昔の話を。

まだ私が鬱病(うつ病)になってから、総年月もたっていない頃。

25時過ぎ電話が鳴りました。

「明日の仕事が不安で緊張してしまい眠れない」

そんな、内容でした。

私は眠剤を服用し就寝中。就寝して1時間ほど経っての出来事でした。

 

介護の仕事で不慣れな作業があるとのことで、そのことを考えると眠れなくなってしまったとのこと。

 

結局、1時間ほど話をして本人は落ち着きを取り戻し、事なきを得たのですが「ほかに相談できる人とかいないのかな~」「頼むから、時間を考えてほしいんだけどな~」などと思いつつ、こんな話をしました。

 

 

 

『眠る前は嫌なことを考えない』

-眠る前五分の「布団坐禅」-

 

 

寝つけない夜は誰にでもあります。嫌なことや不安なことを思い出し、イライラして心が落ち着かない。

 

そんなときこそ布団の上で座禅を組んでみてください。

 

坐禅を静かに組んでいると、脳内にセロトニンという物質が出てきます。これは「鬱病(うつ病)」などの治療に効果のある物質で、気持を安定させてくれる働きがあるものです。薬を服用しなくても、座禅を組むことで、セロトニンが脳内に供給されることが医学的にわかっているそうです。

 

そして、脳が安定した状態になると、じわじわと血管が広がり、血流も良くなり次第に体中がポカポカとしてきます。

 

頭の中の「もやもや」がリセットされ、体が温まれば、自然と眠くなってきます。

 

そして床についたら、一日を無事に過ごせたことに感謝し、今日の出来事は頭の中にとどめておかないことです。

 

目が覚めたら、もう新しい自分です。眠る前五分の座禅効果、やってみる価値はあると思いますよ。

 

 

 

この「自分をリセットする時間」を促すために、仕事の不安がどんな内容なのかを聞き、その内容に対し「今(深夜)考えても仕方がないこと。出来ることをしっかりとやれば十分なのだから、不安になる必要はないし、まだやってもいない事をいくら考えても何も変わらないのだから、考えるのを止めなさい。」とアドバイスをし・・・。

 

 

 

当時の予定は、夕方から精神科の受診日。

天気は雨だし、寝た気がしなくて、身体はだるいし・・・。

 

でも、鬱病(うつ病)で不安症が原因で眠れない気持ちも理解できるし、相談する相手が他にいないと言われたら聞いてあげない訳にもいかないし・・・。

 

とりあえず、その時は、昼寝をして体調を整え、雨の中を病院に行きました。

自分という「役者」

役者

 

 

日々、鬱病(うつ病・精神疾患)で苦しみ辛い思いをしている、私を含め皆さんに、「こんな考え方はどうだろう」という、私なりの考え方を紹介してみたいと思います。

 

 

皆さんの中には「自分の中には、もう一人の自分がいる」と感じている方も少なくないと思います。この「もう一人の自分」を有効に活用して現状の苦しみを、少しでも軽減できないかと考えてみました。

この世の中、私達が「生きている世界」は、とても厳しく辛いことばかりがあるように感じてしまいます。そこで、この「生きている世界」を、こんな風に捉えてみてはどうでしょう?

 

“この「生きている世界」は、劇場の舞台であり、ストーリーは存在しているが、いくらでも、どの様にでもアドリブがきく”

 

私達は「役者」なのだと。

 

 

大きなステージの中で「自分」というキャラクターを演じ「生きている世界」という舞台で「演じている」のだと。

当然、演じているわけですから「本当の自分」は別にあります。

舞台ですから「本当の自分」が願う行動や発言などを取り入れる(アドリブ)は、なかなか難しく出来ないかもしれません。

「自分」という役を演じるうえで「本当はこんなキャラクター(演技)になりたい」と思うことも沢山あるでしょう。しかし、それは中々実現的に難しいものです。

 

なぜなら、この舞台では他にも多くの演者がいて、その人々との絡みがあるため、自分の描く理想の演技が出来ないのです。そして「生きている世界」という壮大な舞台で、与えられた演技をしなければならない・・・。

 

 

そこで重要になってくるのが「もう一人の自分」です。

一発勝負の舞台。やり直しのきかない一度きりのステージ。「自分らしさ」をアピールしつつ演技をするためには、「もう一人の自分」の役割が大きな重責を担ってきます。

悔いのない舞台を成功させるためには「本当の自分」が、いかに「生きている世界」という舞台で「生き生きと、楽しく、悔いのない演技」をするのか。もっと「本当の自分」を前面に出しても良いのではないのか。

だって、たった一度のステージですから、やり直しのきかない一発勝負の「自分演出」ですからね。

 

自らが「自分」の願う役者・役割になれるようコントロールし演技・演出する。その為に「しっかり」と、自分自身で「自分」の演出指導をする。

 

「生きている世界」という壮大な舞台で、自分自身をどう演技・演出するか。

 

「生きている世界」の中で存在する「自分という役者」の演技指導は、「もう一人の自分」にしかできない、なりたい自分への近道なのだと思うのです。

 

その様に考え、実行することができたなら、この「生きている世界」という舞台が、もう少し楽しい舞台になるかもしれませんよ・・・。

「自分」という「役者」は、あなただけのものですからね。

自分が心地よく生きる

無常無我

 

 

さて、私達は大なり小なり「悩み」を抱えていると思います。特に鬱病(うつ病・精神疾患)を患っている者にとって、この「悩み」というものが、普段の生活に影響を与え、大きなトラブルや行動が制約されてしまうなどと、生活の上で問題となってしまう事があるでしょう。では、この「悩み」というものは「どこから生まれる」のでしょうか?

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“欲にとらわれず、何事にも執着せず、一点の曇りもない状態”

これを「無」の状態と言います。また、「禅」ではこれを最も重視しています。

この「空(無)の思想」のベースにあるものは、お釈迦様の基本的な教えである

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“無常無我(むじょう・むが)”

人間の苦しみは、この“無常無我”を自覚しないところにあると説いています。

では、この“無常無我”とはどのようなものなのでしょう。

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「無常」とは、

“生まれたり死んだり(生じたり滅したり)して、常に移り変わる(恒久でも不変でもない)この世(現象世界)のことを意味します。”

「無我」とは、

“「自分(我)」も無常なので、我に固執(我執)することを否定、あるいは超越することを意味します。無常である自分(我)に、執着すると苦しみが生じるという、お釈迦様の教えからきています。”

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つまり、この世の物事が常に変わらないものだと考えるところから、迷いや苦しみは始まります。だから、自分や自分がもっている物、あるいは自分を取り巻く人はすべて変わることはないと考えてしまう。また、変わらないことを無意識のうちに期待していたりもする。そしてその結果、その期待が裏切られたときに、人は悩み苦しむというわけです。

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ん~、ちょっと解りづらいですかね^_^;

この世というのは、常に移り変わって実体がない現象世界であるので、恒久的な「楽」があると勘違いして、その「楽」を追い求めたり楽しむことをする自分(我)に執着するのは間違いであり、その執着によって、自分(我)に“苦”が生じる。“苦”を生じさせないためには、我執を超越(否定)しなければならない。

なかなか、説明が難しいのですが、要は「すべての物事は互いに影響し合っている」ということなのです。

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ここで、“苦”という言葉が出てきました。仏教の教えでは、その中核に

「無常・苦・無我」

というのがあります。

これを説明するのは、またまた難儀なので「サクッ」と流すと、次のとおりとなります。

・無常→森羅万象のすべては「常に変化」している。

・苦→森羅万象は苦である。

・無我→森羅万象のすべてには「永遠に固定されたもの、自分(我)は無い」ということ。

(森羅万象:天地間に存在する、数限りないすべてのもの(万物)や事象のこと。「森羅」は樹木が限りなく茂り並ぶ意で、たくさん連なること。「万象」はすべての形あるもの、有形のものの意。)

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「無常・苦・無我」とは、要するに、全ての物事は、

○ 全てのものは常に変化していて一定ではなく(無常)

○ 変化性である一切のものは苦であり(苦)

○ 全てのものには永遠不滅の実在もない(無我)

ということになります。

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さて、タイトルにある「自分が心地よく生きる」について、これらのことを踏まえて考えてみましょう。

「心地よく生きる」ためには、たとえば自分が幸せになりたいと思うなら、周りの人達も幸せでなければなりません。そのために他人に尽くすことで、自分(我)の幸福をもたらす。如いては「心地よく生きられる」といったところでしょうか。

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自分の考えに固執しない。執着しない。そして、人の幸せのために尽くす。この様な考えを心にとどめておくことで、ずっと心地よく生きられるということです。

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ところで、私達にとって“苦”というやつは、とても厄介なものです。

そこで、この“苦”について、もう少し掘り下げてみたいと思います。

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“苦”は、「一切皆苦(いっさい-かいく)」、「一切行苦(いっさい-ぎょうく)」といった表現も取られます。

果たして本当に全てのものは“苦”なのでしょうか。「一切皆苦」は本当なのでしょうか。これについては時々、議論されます。

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結論からいえば「一切皆苦」で正しくなります。

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「一切皆苦」を簡単に説明すると、“この世界のすべてが,結局はすべて苦であるということ。”という意味です。

私達の感性では「世界のすべてが“苦”である」と言われても、なかなか理解しがたいものです。「はて?」と疑問符がついてしまうでしょう。なぜなら私達の感性では“楽”もあるからです。

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“人生苦もあれば楽もあり”

ではありませんが、人間は苦楽の両方を感じています。ですから「一切皆苦」と言われてもピンとこないわけです。

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でも、でもです。もしも「執着するなら“苦”である」とするならば、「無常・苦・無我」の関係性やその解釈に疑問が発生してしまいます。

なぜなら、前記で説明した様に、“無常”と“無我”は森羅万象の存在としての「あり方」について説いているからです。

もしも「執着するなら“苦”である」といったような解釈をするなら、「執着するなら“無常”」「執着するなら“無我”」としなければ論理的にもおかしくなります。

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「執着するなら“無常”」「執着するなら“無我”」といった条件付けはありません。執着があろうがなかろうが一切は“無常”であり“無我”なのです。

そういった点から考えてみると、森羅万象が「無常」「無我」である以上、森羅万象は「苦」であるとしたほうが自然な相互関係になるのです。

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・・・、う~ん。“苦”について、これで理解するのは、ちと難しいですよね^_^;

“人生苦もあれば楽もあり”という言葉でざっくり砕いて説明すると、“楽”は最初から“楽”があるのではなくて、“苦”を乗り越えて努力や我慢した結果の先に“楽”がある。

そんな感じですかね^_^

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なんにせよ、今回のタイトルである「自分が心地よく生きる」というのは、あれやこれと思い悩むのではなく、森羅万象(自然の摂理)に身をゆだねる。

良い表現ではないと思いますが、「開き直って生きる」や「適当に生きる」といった感じでしょうか。

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くどくなってしまいますが、自分の考えに固執しない。執着しない。そして、人の幸せのために尽くす。この様な考えを心にとどめておくことで、ずっと心地よく生きられるということなんでしょうね・・・。

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そうそう!

書き忘れてました。

これは、あくまで「わたし個人」の趣味というか感化されている「禅語」を書き記している訳でして、決して「仏教徒」の勧誘ではありません。

常識を疑う

常識を疑う

 

 

さて「人との係わり」について、トラブルになり思い悩んでいる方から相談を受けることがあります。

それぞれケースは違えど、人間関係というのは、なかなか難しいと考えさせられます。ただ、それぞれのケースで共通して言えることは「固定観念」に囚われ偏った考えになってしまい、正しい判断を出来ないという事です。

 

世の中には「常識」と言われるモノがあります。しかし、この「常識」という言葉は、時として人それぞれ違っている場合があることを知っておくべきだと思います。

 

『ときには、常識も疑ってみる』

 

そんなことも必要なのかもしれません・・・。

 

 

では、私たちが思う「常識」とは、どのような経緯で確立されるのでしょうか?

それは、「知識」と「知恵」によって確立されるものであると私は考えます。

 

「知識」と「知恵」。この二つは似て非なるものです。

 

「知識」とは、学校で教わったり、自分で学んだりして記憶にとどめたものを言います。

一方の「知恵」とは、「知識」を実際の物事に生かす方法を知ることです。

 

 

私達が幸せに生きていくためには、「知識」も「知恵」も、どちらも大切なもの。どちらかに偏ってもいけない、バランスよく磨いていくことが必要なのです。

 

 

とんちで有名な一休和尚が、難問をいつも鮮やかに解決してみせるのも、この二つを磨いているからこそ成せる業。

十分な「知識」をもち、それを臨機応変に使う方法を知ることで、人はしなやかに生きていけるものだと思います。

 

 

いまの時代、周りには多くの情報があふれています。必要とあらば、インターネットやテレビなどの情報番組などで安易に情報を取得できます。その結果、その情報を信じ、なんら疑うことなく「自分の頭で考えること」を行わずに「分かった気」になってしていまいがちです。

 

 

私は、学生時代「理系君」でした。

算数(数学)の公式は、いわば「知識」と言えるでしょう。そして、一般的には皆さんはその公式を「まる覚え」していると思います。

でももし、その覚えた公式が間違っていたら、間違って覚えてしまっていたらどうでしょう。いくらその公式にあてはめて正解を導いても、その答えは間違ったものとなってしまいます。

私は、幸いにも?公式を「まる覚え」することが苦手でした。なぜそれらの公式が正しいのかいつも疑問に思い、公式が出来るまでの計算(プロセス)を必ず覚えなければ納得できませんでした。

私が思うに、この計算(プロセス)が、いわば「知恵」なのだと考えます。

 

なにゆえに、どうして、何が要因で、公式(知識)があるのか。

そのことを理解しなければ、正しい答えは導くことが出来ないのです。

 

 

人の生き方も同様だと思います。

自分の生き方は、自分自身で決めるもの。「生き方」のサンプル(公式)はたくさん知っていても、「自分がどう生きるか」を決めるのは、「知恵(プロセスの集大成)」があればこそ。

 

 

よく見ること。良く感じること。そして、自分の頭で考えることが大切なのです。

「人に頼れない、相談できない」を克服する。

人に頼れない相談できない

 

 

♦「人に頼れない、相談できない」苦手を克服する4つのポイント♦

 

 

■ポイント1

頼れないなんてもったいない!「頼みごとをされると嬉しい」心理を理解する。

 

■ポイント2

その人へ依頼する理由を明確にすれば頼れないことなんてない。

 

■ポイント3

誰だって人を頼れなくて辛い!「自分だけじゃない」ことを知ろう

 

■ポイント4

日ごろの積み重ねが「頼れない」を解消するコツ!

 

 

今回の話題は、「人に頼れない、相談できない」苦手を持った人の辛い現状を解消というテーマなのですが、みなさんいかがでしょうか?

元来、より多くの生産性がある(仕事量が多い)人が評価されるという社会の構造ですが、これには前提があります。

会社では、おそらく分業というものがあり、

それぞれに対して役割が明確になっているかと思います。

「アナタは、デザインしてね」とか、「アナタは営業してね」とか

「アナタはお金計算してね」とか「マネジメントしてね」など…

上記のように明確になっていない場合でも、兼務という形などで、自分がやるべき仕事ってありますよね?

この前提となる、「自分の行うべき仕事」をいかに、スピーディーに、正確に、多く、こなせるかということで評価されるのだと思っております。

しかし、普段の仕事で、あいまいな線引きの仕事や、他人に頼れないとか、相談できない、任せられない、頼みごとが苦手、などで、普段やらなくていい、もしくはやってはいけないような仕事をやっている場面があります。

そうなると、評価もされず、頑張っているのに「仕事が楽しくない、辛い」という心理に陥ってしまうのです。

日本人の性格的なものもあるかと思うのですが、各個人には、それぞれ役割があるのですから、たとえ辛くてもアナタがよかれと思ってやっていたことが、実はそうではなかったりするのです。

なかなか人に頼れない、相談できない…苦手と、仕事で辛い思いをしている方は是非、以下のポイントを考え直してみてください。

 

 

■ポイント1

頼れないなんてもったいない!「頼みごとをされると嬉しい」心理を理解する。

 

「人に頼れない、相談できない」苦手を持った人は、きっと「あの人に、仕事を任してはかわいそうだ…」と相手が辛い思いをするのでは?と心配に思う方も少なくないでしょう。

いいえ!

はっきり言いますがそれは間違っています。

頼む仕事が明確で、頼む人が間違っていなければ、依頼された人はどんなに忙しくても辛いものではなく、嬉しいものです。

逆の立場に立ってみて、アナタはどんな依頼をされると嬉しく思いますか?

逆に、どんな依頼だと、その頼みごとを辛いと感じるでしょうか?

仕事を任されるということは、信頼を得ている証拠です。

仕事を依頼することを躊躇し、辛い気持ちになる必要は無いのです。

頼れない、相談できない人は、その苦手の壁を取っ払って、

「頼みごとをすることは悪いことではない。」

ということを念頭に置いて残りのポイントを読んでみてください。

 

 

■ポイント2

その人へ依頼する理由を明確にすれば頼れないことなんてない。

 

仕事は行う目的が明確でないと楽しくない…仕事が辛いと思うようになってしまうと、仕事の大小に関わらず、その仕事をする理由・その人へ依頼する理由を明確に持っていなければ、頼みごとをする側も、される側も、楽しくない辛い時間を過ごすことになりかねません。

頼みごとをする前に、以下の 5W2H を明確にしてみてください。

・Why   なぜ?

・What   なにを?

・When   いつまでに?

・Who   だれが?

・Where   どこで(に)?

・How to   どうやって?

・How much いくらで?金額は?

例)「○○さん、来週水曜に、取引先の方へシステムの仕様の説明をしたいので、デザインの提案内容をまとめていただけますか?

もしこの案件を発注いただいたら、300万円程の案件になりそうです。お客様は、デザイン重視の方なので、この提案が大きな意味を持っています!一旦今週末に内容のレビューを行えればとおもっていますので、よろしくお願いいたします!」

上記のような形で、いつまでにどんな内容を…ということを明確にして依頼するとスムーズですし、頼みごとをされた方も悪い気はしないはずです。

逆にこれらを明確にしないままに依頼してしまうと、依頼された側もどのように対応しなければならないのか考える必要まででてしまい辛い思いをさせてしまいかねません。

 

 

■ポイント3

誰だって人を頼れなくて辛い!「自分だけじゃない」ことを知ろう。

 

人に頼れない、相談できない、辛いと感じている人は大勢います。何も人を頼れないのはあなただけではありません。

問題を早く解決して適切に処理することも仕事の一部なので、自分のためにも会社のためにも頼る勇気を持つ必要があるのです。

そして人に頼れない、相談できないと諦めて自分で全てやろうとする勇気よりも、人を頼る勇気の方が難しいこともあります。

ですが、一人で成し遂げられないような大きな仕事はもちろんあります。そういった大きな仕事を成功してきたメディアで派手に活躍している大企業の社長だって、その人一人で成功したわけではない可能性が高いです。まったくの独力で高い成果を上げた人は、ほとんどいないのではないでしょうか。

自分一人で成し遂げようと頑張っても、よっぽど能力が高くなければ成功を続けることはできないでしょう。ですので、難しいことであっても人を頼る必要がでてくるのです。

人を頼る、相談することは簡単ではなく辛いことですが、必要なことだと思ってください。

そして、この「人を頼れない、相談できない、辛い」という思いをみんなが通ってきた道だということを知ってください。

 

 

■ポイント4

日ごろの積み重ねが「頼れない」を克服するコツ!

 

最後は「頼れない」を克服する基本的な姿勢のことです。

どうしても困難な仕事や、誰もが喜んで引き受けない辛い仕事を依頼しようとするとき、依頼する側も、「頼んでも大丈夫かな…」と心配になり、頼れないことがあるかもしれません。

そんな時は、まず自分で行って見せることも重要です。

その仕事が自分の苦手な専門分野で、1日、2日では身につかないことであれば、理解してみようとする姿勢や、日ごろの仕事に対する姿勢をそのように心がけることで、「○○さんの頼みごとであれば…」と辛い仕事であっても引き受けてもらいやすくなります。

また、まだ仕事への理解が少ない方へ依頼する場合、まず自分で「やって見せる」ということも必要だったりします。

 

やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ。

 

本当に、その通りですね。自分から率先して行う姿が、「頼れない、相談できない」を解消し頼みごとをしやすくするのだと思います。

私もまだまだできていないことがあるので、まずは普段の姿勢から見直していきたいです。

いかがでしょうか?

普段「頼れない、相談できない」を意識していなかった方にも、振り返るタイミングになれればと思っております。

「人に頼れない、相談できない」苦手を持った人は、是非実践に生かしてみてください。

頼みごとがしやすい環境を作ると、辛い仕事も解消され、楽に、楽しくできるようになるはずです。

 

 

 

転載:http://24h.aratana.jp/?p=14901

理想の夫婦とは?

理想の夫婦

 

人は、恋愛・結婚を得て夫婦となりますが、いったい理想の夫婦ってどんなものでしょうか?

 

きっと、共に喜び・共に悲しみ、共に白髪になるまで一緒にいることでしょうね。

 

大きな震災などが毎年のようにニュースで流れて訃報を聞いたりする度に、家族やそばにいる人を大事にすることが必要だと知らされます。

だからといって、出会いがない独身男性や独身女性が多くいるこの世代は、直ぐに結婚をしないで思いっきり恋愛をしたいという人達も大勢いることも事実でしょう。

 

同じ世代の友人や同級生達は、結婚をして結婚式の招待状が届きます。

その度に結婚式でお祝いをして、心の中では少し寂しい気持ちになってしまいます。

そして数ヵ月後、あるいは数年後、年賀状などで子供ができた知らせが届きます。

また改めて、幸せを思い知らされます。

人前では自由がいいとか、恋愛話に華を咲かせても結局は自分が惨めになってしまうこともあります。

強がりというものでしょうか。

けれど、そんなことばかりではないのです。

 

結局つき合いも短く直ぐに結婚を決めたようなカップルは別れてしまうことが多いといわれています。

そのときに離婚をしたことを聞いた独身の人達はちょっと微笑んでいるのかもしれません。

そんなことを考えると本当の夫婦って、やはり年月を重ねていくものだと実感をさせられます。

一概にはいえませんが、離婚をする話を聞いていると自分を中心に考えているところがあります。

もちろん子供のこともありますが、相手のことも省みずに性格が合わないとか、生活観違いだとか、それは最初から分かることなのにと思えるような理由が多いようです。

 

簡単に好きだから結婚をしようと、安易な人が多いのかもしれません。

高度成長期以降に生まれた世代は、生まれたときから身の回りには何でも揃っている世の中ですから、揃っていて当たり前なのです。

ひとつでもおかしいと排除する、ひとつでも自分には合わないものはダメだと結論を出してしまうのでしょうか。

それはあまりにも安易な言葉からもしれませんが、我慢がないことは事実です。

上手くいかなければ離婚をして新しい人生を歩むことは良いことです。けれど結婚をするときも家族が増えるということ、親戚が増えることをもう少し考えるべきでしょう。

 

もしも、これから結婚を考えている人がいるのであれば、どうして結婚をするか必要な人なのかをしっかり考えて、結婚を決めて欲しいです。

皆が言うように良いことばかりではないです。

きっと相手のいやなところもたくさん見えます。

その嫌なところも好きになることができるのでしょうか。

それも愛することができてこそ、良い夫婦になれることでしょう。

 

転載:http://www.invside.com/fuu-je/index.html

言葉は意味を伝える事が大切

言葉

 

 

 

私たちは、皆さんと挨拶を交わしたり、普段コミュニケーションをとります。

いわゆる『人』と言葉を交わすことがあるでしょう。

 

しかし、その時「何を伝えればよいのか」が解らず困惑してしまったという経験はないでしょうか。

 

『鬱病(うつ病)』など、精神疾患を患っている私達は、どうしても『人』に対して

『言葉』を使うことが苦手な様です。

 

今回は、そんな『人』とのコミュニケーションに必要な『言葉』について説いた『論語』を紹介します。

 

 

 

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『辞は達するのみ』

(じはたっするのみ)

【辭達而巳矣】

 

 

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皆さんの周りには、『言葉』を巧みに操り、『人を魅了する方』はいませんでしょうか?

 

また、その逆に『言葉』を使うのが苦手で、『要領を得ない方』はどうでしょう?

 

 

私を含めそうなのですが、どうしても『心の内面』を理解して貰いたいが為に、多くの『言葉』を発し、一生懸命『相手』に伝えようと『多くの言葉』を発してしまいます。

 

しかし、その努力もむなしく、うまく伝える事ができず、憤りを感じ「自分を責めたり、相手を責めたり」してしまいます。

 

 

 

『言葉』というものは、たくさん発すれば良いという訳ではないのです。

 

どうしてだと思いますか?

 

 

その理由は、沢山の『言葉』を費やしても

『気持ち』

が通じるとは限らないからです。

 

それでも、私達は『自分の気持ち』を伝える為に沢山の『言葉』を重ねてしまいます。

 

 

なぜでしょう・・・・

 

 

 

それは、私達の心理には、『言葉』をたくさん積めば『相手の心に伝わる』と信じているからだと思います。

 

 

 

ところが、『言葉』というものは、増えれば増えるほど、意味を失い、飾りとなり、大切なものを隠してしまいます。

 

 

 

例えば、皆さんの周りに、俗に言う『くどい人』がいませんか?

 

なぜ『くどい』と感じるのでしょう?

 

それは、必要以上に『言葉』を発し、伝えるべき本来の内容を隠してしまうからなのです。

 

 

そして、その逆もあります。

 

『言葉』が少ない為に、『相手』に何も伝わらない。

俗に言う『無口で何を考えているのか分からない人』もいます。

 

 

 

とても難しいのですが『言葉』は、

 

『本当に伝えたいこと』を伝える為だけに、

 

『多すぎず』

 

『少なすぎず』

 

 

その様な意識を持って発することが必要なのです。

 

それが出来た時、『相手』に『自分』の気持ちがすっと伝わるのです。

 

 

 

新年の挨拶である

 

『明けましておめでとうございます』

 

たったこれだけで、十分に『相手』に『自分』の気持ちが伝わるように、

普段から、『本当に伝えたいこと』を意識して発してみては如何でしょう?

日々の生活が学びの場となる

相棒

 

 

今回は、タイトルそのまま「日々の生活」の中に、学ぶべき事があるという『禅語』を紹介します。

 

 

『歩歩是道場』(ほほこれどうじょう)

 

 

では、さっそく参ります。

 

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これまで、色々な『禅語』を紹介してきましたが、共通している「意」として、繰り返し出てくる言葉(意味)があります。

 

 

『歩歩是道場』の「意」にも、その言葉(意味)が含まれています。

 

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毎日同じように見える生活でも、今日と同じ一日、ここと同じ場所はひとつもありません。

 

空に太陽、草木に生物、あらゆるものが先生となり、人生や真理について教えてくれます。

 

目標や夢にかまけて、先のことばかり気をとられていると、日々の生活をおろそかにすることがあります。

 

これでは何も自分の身になりません。

 

 

大切なのは、「心を込めて」周りの生活としっかり関わること。

 

歩いている間は、その踏み出すところすべてが大事な学びの場となるのです。

 

 

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どうでしょう。

 

今日の『禅語』について、「むずかしい」と思う方もいるかと思います。

ただ、興味深く『禅語』を読んで頂ければ、おそらく、この『禅語』の意を理解できたと思います。

 

 

とはいえ、「理解できない」や「わからない」を

 

「わからないまま」で済ませるのは、良くないことです。

 

 

そこで、ここからは、私なりの言葉で解説をしてみたいと思います。

 

うまく、伝えることが出来るか心配ですが、読んで下さい。

 

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テレビ朝日系で放映されている(現在は夕方の再放送)ドラマ

 

『相棒』シリーズ

 

御存じの方、好きな方、いらっしゃると思います。

(このドラマを知らないと説明が出来ないので困ってしまうのですが続けますね)

 

 

このドラマの主人公「杉下右京」(水谷豊)が、事件を次から次と解決する様は、とてもコミカルでいて、尚且つ知的だと思いませんか?

 

主人公「杉下右京」の観察力、洞察力、記憶力。

さらに、分析能力や推理力の高さ。

時には誰も疑問に思わないような些細な事を足掛かりにして捜査を開始する。

 

 

☆趣味はチェス、落語、クラシックレコード鑑賞。

 

☆中学時代に書いた推理小説が大学の推理小説サークルの同人誌に掲載された。

 

☆幽霊や超能力に興味がある。

 

☆手先が器用で、リンゴの皮剥きを綺麗にこなし、ピアノも弾けて、携帯メールや電卓の操作も早い。

 

☆運動能力も高く、剣道や護身術にもたけている。

 

☆様々な分野に造詣が深く、円周率の暗記やワイン、手話、方言、マジック、更には病気や薬品の知識にもたけ、複数の外国語を理解している。

 

などなど・・・。

 

(Wikipedia より)

 

 

ドラマの主人公ですから、現実離れした能力を持っていると、皆さんは感じているでしょう。

 

 

 

でも、ちょっと考えてみて下さい。

 

この主人公「杉下右京」なる人物は、始めから、この様な優れた才能・能力が備わっていたのでしょうか?

 

 

おそらく、その様な人物ではなかったと私は思うのです。

 

確かに、高学歴で天才肌といった設定になっていますが、「なんら努力をしない」で得られた才能・能力ではないと思います。

 

一日一日を大切にし、すべての事柄に興味や関心を抱き、日々の生活が『学びの場』と知っていた人物だからこそ、「杉下右京」が誕生したのではないでしょうか。

 

 

「杉下右京」は、架空の人物です。

しかし、この人物から学ぶことは、沢山あると私は思います。

 

 

 

『歩歩是道場』

 

 

歩いている(生きている)間は、その踏み出すところ『すべてが大事な学びの場』である。

 

まさに、このことを実際に行っている人物、それが「杉下右京」だからです。

 

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どうでしょう。

 

こんな、私なりの解説で、皆さんに伝わりましたでしょうか・・・